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【アラベスク】  第2章 真紅の若葉



第2節 丘の上の貴公子 [18]




「違うか?」
「……確かに」
 確かに、霞流慎二が金で女を買ったことなどない。だがっ――――
 苛立ちのようなものすら露わにする相手に、慎二はため息をつく。
「俺だって、たまには人助けくらいしたくなる。そういう時もある」
 木崎は、ただスッと瞳を細める。
「俺がどれほど気紛(きまぐ)れな男か、それはお前も知ってるだろう?」
「さようですね」
「……否定しろ」
 思わず笑みを上らせた木崎は、(おもむ)ろに視線を上げた。そうして、今度はゆっくりと頭を下げる。
一時(いっとき)の気紛れなら、むしろ慎二様らしい」

 そう…… だたの、気紛れ

「ですが、紳士を演じるにも限度がございます。化けの皮は、いつかは必ず剥がれるものですよ」
 そうしてドアノブに手をかけ、音を立てずに扉を開けた。
「お(たわむ)れも、大概(たいがい)に……」
 静かに告げて、退出する。
 その姿を、呆れたように見届ける。
 結局、何しに来たんだ?
 だが心のどこかで、その理由に気付いてる自分がいる。
 木崎に指摘されなくても、珍しいのわかっている。だがそんな自分に、驚きを感じることはない。
 ただの気紛れさ
 再び椅子を回転させ、ガラス窓へ視線を移す。
 大迫美鶴
 黒い瞳の美しいほっそりとした少女。行動も荒々しく、品格もなく、およそ唐渓の生徒とは思えない。
 なぜ、あんなインテリで奇妙な学校へ?

 ………… "奇妙"

 本当に、あの学校にはそんな言葉がぴったりだ。
 例えば――――
 月の闇に昼間の少年の瞳を思い浮かべ、思わず口元を緩める。
 「もうちっと、短い方が可愛いんじゃねーの?」
 制服の乱れには事口うるさい学校関係者や保護者の前にあって、女子生徒の短なスカート丈にはほとんど抗議の声もないらしい。

 なんていい加減で、気まぐれな世界――――

 それはまるで自分のようだと、慎二は自嘲する。
 庭の木々が揺れ、葉の落とす影に月夜の闇。
 ふと脳裏に、少女の欠片が浮かび上がる。セピア色の、表情も読み取れない、輪郭もぼやけた人物。
 振り払うように、その細い指でトントンと肘掛を叩く。

 所詮は、退屈しのぎさ

 だって、おもしろそうじゃないか。まぁもっとも、期待して落胆させられた見掛け倒しには、今までにも何度か手を伸ばしたものだがな。
 さて、俺の退屈な生活を、どれほど楽しませてくれるのかな?
 昼間の、剣呑な瑠駆真の視線を思い返し、そっと瞳を閉じたのだった。





 まずなにより、痛い。ある程度予想はしていたのだが、やはり痛い。
 本当に肌に突き刺さるのかと思うほど遠慮のない視線を感じながら、美鶴は校舎へと向かった。
「あれって、二組の大迫美鶴じゃねぇ?」
 一応声を潜めてはいるが、美鶴の耳に入ってしまってはまったく意味はない。
 教室へ入り、無言で席に着く……

 ………席が、ない

 教室の隅に投げ出された一組の椅子と机。美鶴はうんざりとため息をついた。この程度の嫌がらせ、今に始まったことではない。
 無数の足跡で汚された机を掴み、勢いをつけて片手で起こす。そうしてそのままズルズルと、窓際の席まで引きずる。
「あれぇ〜 大迫、来たんだっ」
 わざとらしい男子の大声。
「昨日休みだったからよぉ、もう来ないのかと思って片付けといたんだぜっ」
 クスクスと響く笑い声。
「お手伝いいたしましょうか?」
 美鶴としては、私に構うな的オーラをビンビンに出しているつもり。だが、よほど鈍感なのか、それともただひたすら傍若無人なだけなのか、近寄ってくる気配有り。
「大迫さん、大変でしたわねぇ」
「まぁ? 髪の毛をお切りになられたの? お家が灰になってしまわれたというのに、身なりに気を配られるなんて、ずいぶんと余裕ですわねぇ?」
 鼻にかかるようなネットリとした声。それとは別に、背後から押し殺したような掠れ声。
「まぁもっとも、どんな髪型でもあの人には似合わないけどね」
「アンタと髪型似てない?」
「やだぁ せっかく切ったばっかなのにぃ。もうっ! 放課後また美容院に行かなくっちゃっ!」
 そう言って一人が携帯を取り出すと、素早い操作で電話をかける。どうやら予約を入れるつもりのようだ。少女の口調から、放課後はどうもいっぱいらしい。だが、傲慢な態度で無理矢理予約を入れた。
「ホントっ 腹立つっ!」
 バチンッと勢いよく携帯をたたみ、これ見よがしに声を荒げる。
 そんな彼女をニヤリと笑い、別の少女が美鶴の席の前に立った。そしてゆったりと声を上げる。
「本当に、災難だわねぇ〜」
 美鶴は徹底的に無視を決め込む。
 しかし相手はどこぞの令嬢か、はたまた由緒正しき権力者の末裔か。どちらにしろ、己の存在を空気と扱われることに納得するはずがない。
「大迫さん? まさか火事のショックで耳が聞こえなくなったなんてこと、ないでしょう?」
「大迫が火事ごときでショックを受けるとは思えないなっ」
 部屋の隅で野次るような男子生徒の声に、嘲笑が響く。
「人に声をかけられた時は、せめてそちらを向くものですよ。節度のある方なら、ご存知のはずでしょうけど」
 まぁ、あなたのような身分の者なら、こんな態度でも仕方ないわね
 語尾にそんな意味を含ませる相手の言葉に、美鶴は瞳を閉じた。
 一年間浸ってきた生活。こんな扱いにはもう慣れてしまった。
「金本くんと山脇くんが、昨日学校を早退されたのですけど、あなた、ご存知?」
 知らないと言っても食い下がるだろう。だが、いまさらまともに答えるのも癪だ。
 思案している間に、相手はどうやら痺れを切らしたらしい。
「あなたねぇっ」
 声音鋭く一歩踏み出し、そこで言葉を切る。
「……………」
 ………?
「…… このブラウス……」
 灰色を基調としたウォッチマン・プレイド柄のワンピース。そのノースリーブから伸びる校章の入った白の袖。襟元に水色の、幅の広いリボンを結ぶ白いブラウス。
 心地良い五月晴れ。サンサンと降り注ぐ太陽の日差しに、上着など耐えられるはずもない。
「梅雨や真夏の時期に、冬服を着て過ごせるはずもないでしょう」
 脱いだ上着を膝元で握り、霞流の言葉がじんわりと沁みる。
 唐渓高校の制服は、デザインは有名デザイナーを採用しているが、製作は複数の地場業者に許可を与えている。
 どこの業者も、普通の化繊素材とは別に、唐渓の金持ちをターゲットにした高級素材の商品も揃えている。親は皆、競ってそれらを子供に買え与える。ゆえに、美鶴のような化繊素材のブラウスを着てくる者は、肩身の狭い思いをする。
 昨日、制服を用意してくれた業者が持ち込んだブラウス。袖を通したときの滑るような感触には、鳥肌が立つほどだった。
「…………」
 ブラウスの素材に目をつけるあたり、やはり唐渓の生徒だと軽蔑する。
 この視線。
 人を値踏みするような視線。
 入学当時からさんざん受け続けている視線で美鶴を一通り見下ろした後、少女は少し眉を寄せた。
 こんなブラウス、大迫美鶴に着れるワケがない……
 そう言いた気な視線で思わず伸ばされた少女の手を、美鶴は無遠慮に払い落とした。
「さわるな」
 少女の頬がカッと高潮した。
 美鶴は思わず薄ら笑う。
 唐渓の、バカ娘の矜持(きょうじ)を傷つけるコトほど楽しいモノはない………
 一瞬にして教室中に広がった緊張。隠そうともしない敵意をそここかしこから感じ、美鶴が悠然(ゆうぜん)と机に肘をついた時だった。
「おぉ 大迫、来てるのか」
 野太い担任の声に、教室内の緊張が緩む。
「ちょっと来い。状況説明してくれ。昨日の昼間連絡先に電話したけど、留守電になってたぞ。お前は今はどこにいるんだ?」
 最後の方は廊下へ踏み出しながら、付け足すように言う。
 美鶴が知らせた連絡先は、母の店の番号。店を開けるのは夕方からだから、昼間電話しても誰もいないのかもしれない。
 昨日は母が早く行ったはずだが、鍵を開けれるのはママだけだろう。母は店ではなくママのところへ行ったのかもしれない。
 ウザい同級生らへチラリと視線を送り、美鶴は颯爽と教室を出る。
 担任の阿部はすでに廊下の端。角を曲がって姿を消す。阿部の担当は国語で、大概は職員室よりも図書準備室に居ることが多い。
 今回もたぶんそこへ呼ばれているのだろうと、廊下を歩き出した時だった。
「ずいぶんと、災難だったねぇ」
 ネチッとまとわりつくような、少し枯れた男性の声。
 美鶴は、思わず足を止めた。だが、振り向くことができない。







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